皆さん、こんにちは。ogyaboxです。
2年前の12月1日、人生が180度変わりました。普通の日のはずが、気づいたら病院のベッドの上。「奇跡的な生還」と言われるほどの大事故に遭っていたんです。
この経験から、15年勤めた会社を辞め、25年ぶりに地元へ戻ることになりました。人生って、本当に何があるかわからないものですね。
今回から、あの夜の出来事と、そこから始まった人生のリセットについて、ありのままにお話しします。同じような経験をした人、人生の岐路に立っている人の参考になれば幸いです。
では、あの運命の夜から、話を始めましょう。
運命の夜
2022年12月1日。今でも鮮明に覚えています。
その日、仕事を終えた私は新宿の歌舞伎町にいました。当時41歳。携帯電話販売店dショップの店長として千葉に単身赴任中でした。会社の若いスタッフ2人と居酒屋で一杯やって、そのまま2軒目のダーツバーへ。ここまでは覚えているんです。でも、そこから先が…。思い出そうとしても、霧の中を手探りしているような感じです。
意識が戻った瞬間
次に意識があったのは病院のICUでした。体は動かない。ただ白い天井を見つめることしかできませんでした。不思議な夢を見ていたんです。大きなエレベーターの中にいて、どこにも行けない。そんな夢です。今思えば、あれは現実と夢の狭間だったのかもしれません。
衝撃の真実
後で聞かされた事実は、想像を絶するものでした。
振り返れば、あの頃の私は様々なプレッシャーを抱えていたのかもしれない。仕事と家庭のバランスを取るのに苦心し、ストレス解消の方法を見出せずにいました。気づけば、飲みの量もお酒も増え、家族との時間は減っていきました。そんな日々が続く中で迎えたあの夜。
泥酔した私は京王線の駅のホームから転落し、電車に轢かれたんです。死を覚悟するような瞬間だったはずなのに、私の脳はその記憶を完全に消し去っていました。自己防衛なのでしょうか。それとも、自分の行動から目を背けたかったのか。
振り返れば、この事故は氷山の一角。長年積み重なってきた問題が、一気に表面化した瞬間だったのかもしれません。
壮絶な診断結果
医師から告げられた診断結果は、聞いていて現実感がありませんでした。
- 一時的な出血性ショックによる心停止からの蘇生
- 外傷性くも膜下出血
- 脳挫傷、頭部痤瘡
- 顔面骨の複雑骨折
- 第2〜4頚椎と第3胸椎の骨折
- その他、数々の合併症
ここまで重症だったとは…。でも、私は生きていました。医療技術の進歩と医療スタッフの献身的な努力、そして言葉では言い表せないような幸運が重なったんでしょう。文字通り、死の淵から這い上がったんです。
人生の儚さを痛感
「もし、あの時死んでいたら…」
考えるだけで背筋が凍ります。子供たちの笑顔が二度と見られなくなるところでした。人生ってこんなにも儚いものなんだ。そう痛感しました。
人生の転換点
この経験は、間違いなく私の人生最大の転換点です。死に直面し、奇跡的に生還した41歳のサラリーマン。これからどう生きていくのか。人生をどう再構築していくのか。その過程で気づいたこと、学んだこと…。
これから、私の再生の軌跡をお伝えしていきます。命の尊さ、人生の予測不可能性について、身をもって学んだこの経験。この物語が、誰かの心に少しでも響けば嬉しいです。
次回予告
次回は、入院生活で感じたことや、そこで直面した現実についてお話しします。予想もしなかった状況での葛藤や、自分自身との向き合い方。そんな中で生まれた新たな気づきについても触れたいと思います。
正直、まだ整理しきれていない思いもたくさんあります。でも、書くことで少しずつ自分の中で消化していけたらいいなと思っています。次回もお付き合いいただければ幸いです。
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